2004.10.25

興福寺国宝展

 22日に東京藝術大学美術館「興福寺国宝展」を見てきました。興福寺は藤原氏の氏寺として奈良時代から発展し,平安末期には「南都北嶺」(南の興福寺,北の比叡山)と呼ばれ,時の政府を脅かすほどの勢力を誇っていました。しかし治承4(1180)年12月28日に,平重衡(たいらのしげひら)が源氏方についた興福寺と東大寺に火を放ち,寺は全焼してしまいました。

 復興事業はその翌年から始まりましたが,興福寺は藤原氏の氏寺だったので,東大寺のように源氏から援助を受けることができず,その作業は遅々として進まなかったようです。挙句の果てには山田寺から薬師如来像を略奪するという前代未聞の暴挙まで起きる始末。そうした中で,それまで貴族達に好まれていた京都の仏師(院派,円派)に代わり,奈良の仏師達(慶派)が台頭し,男性的な力感に溢れた写実的な仏像を創り出していきます。今回はこの鎌倉期の復興造営に焦点を当てた展覧会でしたが,やはりいちばん見応えがあったのは鎌倉期の仏像でした。興福寺には鎌倉期の国宝仏像24体のうち,半数に近い11体が安置されており,まさしく「鎌倉期仏像の宝庫」なのです。今回の展示では,ふだんは四天王に踏みつけられている邪鬼が頭上に燈籠を載せて立っているという珍しい「龍燈鬼立像」や,リアルに全身の筋肉を表現した「金剛力士像 阿形」などが,鎌倉彫刻ならではの写実的で力強い造詣美を堪能させてくれます。また「日本彫刻史に残る最高傑作」と言われる「世親菩薩立像」「無著菩薩立像」は,興福寺に行ってもいつでも見られるわけではないので,この機会に見ておくとよいでしょう。個人的には,興福寺といえば「阿修羅像」なのですが,これは奈良時代の作品のせいか,今回は出品されていなかったのが少々残念。しかし,鎌倉期の仏像に対して理解が深められたのは大きな収穫でした。余談ですが,仏像の国宝指定は鎌倉期が最後だそうです(それ以降は信仰の対象が,仏像から各宗派の祖師に代わったことが大きな要因とのこと)。

 興福寺と薬師寺は法相宗の大本山です。法相宗は,西遊記でおなじみの三蔵法師玄奘を開祖とし,日本には唐に留学した道昭によって伝えられました。経典は「解深密教」(けげんみっきょう)「成唯識論」(じょうゆいしきろん)等で,仏教の基礎学である「唯識」の教え,すなわち「あらゆるこの世の存在やできごとは,自分自身の心の働きによって仮に現わされているに過ぎない。だからこの世は自分の心を離れては存在せず,心はこの世のすべての本体として唯一の実在するもの」という考えが教義だそうです。

 それにしても平日の昼間にもかかわらず,ものすごい人出だったのに驚きました。特に中高年層が多かったのですが,日本の中高年は本当に向学心に溢れていますね。高齢化が進む日本において,中高年層の行動および消費動向は注目の的ですが,文化的な関心が高いのは非常にいい傾向だと思います。江戸時代には「経済は若者が担い,文化は隠居が担う」と言われていたそうですが,心身ともに元気な高齢者が増加する21世紀の日本も,江戸時代と同じような状況になるのかもしれません。

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2004.10.18

マティス展

 15日に国立西洋美術館の「マティス展」に行ってきました。マティスの展覧会はよく開催されているように思っていたのですが,このような大規模な展覧会は約20年ぶりのことだそうです。

 この展覧会では「プロセス」と「ヴァリエーション」という2つのテーマで画家の本質に迫っていきます。たとえば「プロセス」のコーナーには,マーグ画廊でのマティスの個展(1945年)の様子が紹介されていますが,その個展でマティスは絵画と一緒に作品製作の途中段階を撮った写真を展示したのです。このような展示方法によって,マティスの絵が多くの場合,緻密な描写から始まり,次第に簡略化されていくプロセスが明らかにされています。彼の絵はそのシンプルな描線から,彼の天才的なインスピレーションによって即興的に描かれているのではないかと私は思っていたのですが,実は完成に至るまでには長い時間がかけられていて,その間,様々な試行錯誤を繰り返していることがよく理解できました。

 「ヴァリエーション」のコーナーでは,同じ対象を描いた複数の作品を並べて展示してあります。彼は同じ対象を繰り返し描くことがよくありましたが,今回の展示によって,同じ対象を実に多面的に捉えていたことがわかります。このように同じ対象を繰り返し描いたのは,対象から引き出される自分の感覚を正確に表現したいと欲求によるもので,特に人物画においては,モデルと画家の心理的な揺らぎを紙上に表そうとしたそうです。このようにマティスは「絵を描く」という行為の意味を自らに問い,描く際の自分の意識(あるいは「超意識」)のあり方に多大な関心を寄せた画家だったのです。

 今回の展覧会では「ジャズ」の原画20枚すべてが日本で初公開されているのも,見どころの1つでしょう。マティスが切り紙絵を制作するようになったのは,2度の手術を経て車椅子での生活を余儀なくされてからのこと。体力的な負担の大きい油絵は断念せざるをえなかったのです。しかし躍動感に満ちた形態と鮮やかな色彩に溢れた作品からは,車椅子生活の人が製作したとはとても思えないようなバイタリティーが感じられ,マティスが晩年に至るまで創作に対する並々ならぬ意欲と熱い情熱を持っていたことがひしひしと伝わってきました。

 最後にピカソとマティスの関係について一言。今回展示されている「夢」(1940年)は,ピカソの「黄色い髪の女」(1931年)に触発されて描かれた作品です。「黄色い髪の女」に関して,ピカソはマティスに向かって「もし私があなただったらやるだろうことが,ここにはある」と語ったそうです。ちなみに,この「黄色い髪の女」は,現在,Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「グッゲンハイム美術館展」で展示されています。2人の巨匠(2人とも「いちばん影響を受けた画家はセザンヌ」なんだそうです)が互いに相手を意識して描いた作品が,同じ時期に東京で展示されているなんてすごい偶然ですね。ところでこの2作品は,それぞれの展覧会のチケットに印刷されているのですが,これも単なる偶然なんでしょうか?

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2004.10.13

ピカソ展

 昨日は損保ジャパン東郷青児美術館で「ピカソ展」を観てきました。ピカソの2番目の妻であるジャクリーヌのコレクションが日本で初公開されたものです。ピカソがジャクリーヌに出会ったのは1952年,南仏のヴァロリスでのこと。このときピカソは70歳,ジャクリーヌは26歳。2人は61年に結婚し,ジャクリーヌは1973年にピカソがムージャンで亡くなるまで献身的に尽くしましたが,86年にピストル自殺を図り,この世を去りました。

 私は来月,南仏を旅行する予定なので,その「予習」も兼ねてこの展覧会に行ったのですが,ピカソが南仏で生活したのは,第2次世界大戦後の1947年から晩年まで。つまりジャクリーヌと関わりを持っていた時期は,ピカソが南仏で生活していた時期の大半を占めるのです。
ちなみにピカソの南仏での生活拠点を列挙すると,
1947~55年 ヴァロリス
1955~58年 カンヌ
1958~61年 エクサン・プロヴァンス
1961~73年 ムージャン
となります。

 ピカソがジャクリーヌと出会う前に,40歳年下の恋人のフランソワーズ・ジローとの間にクロード(47年),パルマ(49年,彼女は宝飾デザイナーとして有名)の2児を儲けたのも,この地を拠点としていた時期です。

 この時代のピカソの作品には攻撃的・破壊的な印象が薄いので,「画家としてのピークを越えた時期」とも評されているようですが,童心に戻ったような大らかな雰囲気があって,個人的にはこの時期の作品が好きだなと思いました。

 ところで,ピカソの創作活動に数々の女性が大きなインスピレーションを与えたことは有名ですが,彼の尋常ならぬエネルギー(と性癖?)によって,関わりを持った女性達は皆ボロボロにされてしまったようなのです。それにもかかわらず,自分の意志でピカソから離れていった女性はフランソワーズ・ジローしかいなかったのですから,ピカソには女性を捉えて離さない強烈なパワーがあったと思われます。生涯に残した作品が6万点とも8万点とも言われる,常人には考えられないような多作ぶりで知られる天才ピカソ。そのエネルギッシュな創作活動の影で,壮絶な愛憎劇が繰り広げられていたというのは,おそらく事実だったのでしょう。

【参考】
ピカソの生涯についてはこのサイトが詳しくてわかりやすかったので,リンクを貼っておきます。
「ピカソ偽りの伝説」
 「ピカソ偽りの伝説」関連
映画「サバイビング・ピカソ」

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